毎日新聞 2008年12月8日夕刊の記事

 「ガラスの天井」(記者:大治朋子)

 
 「一番高く、最も硬いガラスの天井を打ち砕くことはできなかったが、1800万のひびを入れた」。米大統領選民主党予備選で1800万票を獲得したヒラリー・クリントン氏が6月、撤退を表明した時の演説の一節だ。

 上は見えるのに手が届かない。「ガラスの天井」は、
女性であるがゆえに昇進の機会が奪われる社会の障壁を意味する。そこに入った「ひび」とは、初の女性大統領誕生を期待した人々の思いでもある。だが、この表現を思いついたのが実は男性だったと聞いた時は、ちょっと意外に思った。

 教えてくれたのは元ワシントン・ポストの女性記者、リサ・マスカティンさんだ。彼女は前大統領夫人時代からのクリントン氏のスピーチライターで、この演説も、その大部分を書いた。

 彼女とは昨春、取材で知り合った。先日、食事をしながら2時間、選挙戦について聞いた。オフレコも多かったが、陣営幹部が外国メディアの単独取材に応じることは珍しい。リサさんには、同じ女性である私に「チャンスをあげたい」という気持ちを感じる。

 クリントン氏は選挙戦終盤で、劣勢ながら戦いを続けた。メディアは「党の分裂を招く」と「撤退圧力」をかけたが、当時の世論調査によると、有権者の7割が「継続」を支持。特に熱狂的だったのが女性で、「クリントン氏に自分自身を重ね合わせていた」(リサさん)という。
米国の管理職に占める女性の割合は4割(日本は1割)。女性の平均賃金は男性の8割弱(同7割弱)で、働く女性の不公平感は強い。ファイティングポーズを取る女性をリングから降ろそうとする動きに、女性が怒りを爆発させたという。

 だがクリントン氏が選挙戦で、女性問題を強調したわけではない。女性色を打ち出すと「最高司令官が務まるのか」とか「女性の立場を利用している」と批判されるのを警戒したそうだ。

 「1800万のひび」という表現は、クリントン前大統領の側近だった男性が思いつき、リサさんにメールで知らせてきた。男性には娘がいて、クリントン氏の戦いぶりが、娘の未来に道を開いてくれたと感じたそうだ。

 ガラスを打ち破るのはクリントン氏でも、女性でもない。女性が女性の問題を語れる社会。男性も含め、ガラスの天井の存在を認め、変えようとする社会だ。そう考えると、このフレーズを思いついたのが男性だったことは、前向きな話なのかもしれない。(北米総局)

毎日新聞 2008年12月8日 東京夕刊